2010年6月28日月曜日

ファイルサイズ

ファイルサイズの調整の仕方

・Adobe Acrobat
 アドバンスト→PDFの最適化
 ダウンサンプル(バイリニア法)の方が、
 ダウンサンプル(バイキュービック法)より
 サイズダウンできるらしい。

・Adobe Photoshop
 画像のサイズをあらかじめ小さくしておく。
 イメージ→画像解像度

・Adobe Illustrator
 画像を入れる時、ファイル→配置 にする。
 その際、画像は Illustrator の本体データと同じフォルダに入れておき、
 USBなどに移動の際はフォルダごとコピーする。
 

7/3 卒業研究1次発表会

頴原研の発表は、9:00からです。
データをノートパソコンにまとめて入れておいて下さい。

4年生は、自分の発表だけでなく他の研究室の発表も聴いて下さい。
3年生は、少なくとも頴原研の発表を聴いて下さい。

2010年6月23日水曜日

冷房設定温度

28度に設定するよう大学からお達しが来ています。
それで送風に切り替わってしまった場合のみ、温度を少し下げて調節をして下さい。

2010年6月22日火曜日

第10回 自主研究会まとめ 担当 本村

まずワンダーワンダーでは京都の別荘群について南禅寺の周りにいろいろな別荘について見ました。登場した別荘は對流山荘(水の上に浮かんでいて自然との一体化により庭と屋内とが境界無くとけ合う。)碧雲荘(庭の主役は水で、水を五感で楽しめる。東山を背景に庭の木の大半は松が占める、そして永観堂 多宝塔を眺める時に別荘と塔との距離が400メートル程あり、手前の建物が見えてしまうので松を使って塔全体を見せない手入れを施している。)何有荘(庭の掃除をしっかり行っている。池にはブルーギル、ブラックバスがいて琵琶湖から水が流れてくる。離れがあり、床を低くすることでせせらぎを感じられる。)清流亭(桜がたくさんあり、障子を開けて桜を見るという特別な花見が行われている。ここの所有者は「大切な預かりもの」としてこの清流亭を大切にしているそうです。)

次に美の壷では水のある庭、理想郷の回遊、水の無い庭という3つのテーマについて見ました。はじめに水のある庭では、日本人は水を自由に使って来たと言うことがわかりました、そして理想郷の回遊ということと関連づけて説明しますと、金閣や小石川後楽園や二条城などのような水(池)をベースにして橋や岩を日本列島や仙人の住む世界などとして表現しています。これを縮景と言い、スケールを小さく表限することで庭に秘められた作り手の思いが形になった理想郷に近づけるようにしている。最後に水の無い庭では、水の無い景色で絶え間ない水音、つまり音だけで清涼感を感じてもらおう、音だけで心を安らげようという工夫が成されていました。中でも特に印象に残ったのが苔涼庭にある、蹲いで手を洗う際にその水が地面に開いた小さな穴に入り、音が出る水琴窟というものがありました。

2010年6月18日金曜日

お知らせ

洗面台の隣の棚の下2段は、個人の飲料水等の置き場にしました。
ここに物を置く場合は、名前を書いて下さい。
                                 近藤

第9回 自主研究会 まとめ (担当:森)

イサムノグチ 紙と石

彫刻を身近に

イサムノグチにとってNYと日本両方が故郷になっていて、どちらにも属しているようで微妙な感覚になっている。
医学を学んだ後に夜間で彫刻を学んだ。芸術に触れるうちに、技術にしばられないで単純化をしていくためには芸術家と素材の両方が大事になっていると感じていた。
パリで抽象的な彫刻を作っていたが、一つも売れなかった。その中で生活費の為に肖像的な彫刻を作っている事に葛藤を感じていた。しかし仕事を続ける中で人脈を広げていきフロンティアの舞台装置の製作を依頼された。ロープだけでシンプルかつエレガントな表現をして、その舞台で豊かな感情を彫刻で表した。
バックミンスターフラーと共に社会から飛び出し、個人・集団ではなく地球に根付く云わばアースアートの走りとなった。
石のパズルという作品で世間から評価されはじめ、独自性・ルーツ・インスピレーションを磨いていった。
庭は室内の彫刻だと考え、京都に来た時に竜安寺の石庭に無垢の宇宙を見出した。
広島の平和公園の橋のデザインを二つ担当したが、慰霊碑にはイサムノグチの案は採用されなかった。彼は原爆に対し罪の意識を持っていて、日本とアメリカのかけ橋になろうとしていた。
提灯を光の彫刻だと考えて、その中にはかなさ、時の流れを見出し壊れた後に残るのは芸術と命といった、日本的な美意識を感じ取った。
彫刻は建築の一部だとして、建築家の設計を変えさせるほど彫刻の事を考えていた。

まさに芸術家らしく彫刻にストイックに向き合い、自分なりの価値観を貫き通していた。生まれが特殊だから、日本人ともアメリカ人ともどこか違う感覚があって独自の世界を作れたんだと思った。

卒業研究1次発表まで予定

6月20日(日)24:00 研究タイトル登録 ゼミ内締切
(6月11日(金)投稿の記事を参照)
6月22日(火)2限:自主研究会
(6 月18日(金)投稿の記事を参照)
6月25日(金)2限:提出用プレゼンボードのチェック
※最終的なチェックなので、ほぼ完成形のものを持って来ること。
6月28日(月)
13:00 PDFデータ提出
13:00〜14:30 プレゼンボード提出       
6月28日(月)14:45〜 卒業アルバム写真撮影
6月30日(水)14:40〜 発表練習会
※Power Point、発表原稿を用意してくること。
7月03日(土)卒業研究1次発表会

第10回 自主研究会

6月22日(火) 2限 担当 本村
参加予定者 平原 野口 森 牧瀬 近藤 堀本 波多江 
参加する人は書き込んでてください。
内容 京都の邸宅(ワンダーワンダー)
    水のある庭(美の壷)
    

2010年6月14日月曜日

『心の営業』




21年度卒業生の塩塚君が研究室に来て、この本を紹介してくれました。

積水ハウスの営業をされてきた方のお話ですが、住宅メーカーだけでなく、建築関係全般、いえ、働くひとすべてに参考になる本です。
私は研究教育に関わる仕事をしており、営業はあまり関係ないかと思われるかもしれませんが、研究教育も学生や社会をお客さんとした職業と考えられますから、学ぶところは多かったです。
社会に出ることを目前に控えた今の4年生だけでなく、1〜3年生も今からこういう本を読んでおくと良いと思います。

2010年6月11日金曜日

第9回 自主研究会

6月18日(金) 3限  担当 森
参加予定者 平原 藤本 野口 堀本 波多江 広田  美藤
参加する人は書き込んでてください。

イサムノグチ

卒業研究1次発表 「研究タイトル」登録

ゼミ内締切 6月20日(日)24:00

卒業研究1次発表会での「研究タイトル」をすでに登録済の「研究テーマ」から変更する人は以下の欄で訂正して下さい。
発表当日はこの登録した「研究タイトル」で出欠確認等をしますので、十分注意して下さい。

近藤:人~環・和・輪~
野口:集落景観からの警鐘
波多江:海の民家再生
平原:商店街の再生 ~商店街に話し声をもう一度~
広田:中間領域によるサステナブル・デザイン
美藤:昭和初期住宅における二世帯居住環境の創造
藤本:隈研吾の建築思想における切断と接合
堀本:新天町における多世代交流
牧瀬:需要の違いから生れる茶室
本村:水の機能性とデザインの調和
森:日本の街並みにおける奥の思想
信國:モダニズム建築とポスト・モダニズム建築について
松隈:人工廃墟と広場の共有化
松島:変化をする廃墟

6月17日(木)建築学特論

キャリア支援センターでの就職活動についてのガイダンスとします。
キャリア支援センターに集合のこと。

2010年6月7日月曜日

第8回 自主研究会 まとめ (担当:野口)

今回はブラタモリ三田、麻布のDVDを観ました。

・三田は江戸の風景が多く残り、大使館の3割がここにあり、外国の人が多く住んでいるインターナショナルな街です。外国と違い庶民から大名までが庭を持つ文化があり、とても緑が多く、古くからある大名庭園は大使館に吸収され外国の人が庭園を守っています。

・麻布は商人の街で、江戸からの坂道が変わらず残ったままで、江戸と外国が融合している商店街と江戸時代からあるガマ池が埋め立てられて、マンション建設の話が出たときに、1番に反対したのが地元に住む外国の人という話がとても印象的でした。

・三田、麻布は外国の人が江戸の風景を守っているという奇妙な街でした。日本人はもっと自分の住む街のことに興味を持ち、その土地の後世に残すべき歴史や風景を守っていくことが重要だと思う。その為にも建築を学ぶ私達や、建築に関わるすべての人が自覚を持ち、率先して行動し、その街に住む人々と協力して重要な歴史や風景を後世に伝えていくべきだと思う。

2010年6月4日金曜日

第8回 自主研究会

6月7日月曜3限 担当 野口
参加予定者 美藤 本村 波多江 平原 藤本 堀本
ブラタモリ 三田 麻布

2010年6月1日火曜日

勉強会(報告 平原)

今回の勉強会は先生が用意してくれた商店街のDVDを見ました。

商店街の場所は北九州の門司中央市場。元々は戦後の闇市として栄えたが、人口増加とともに衰退。今では72あった店の半分以上が店を閉めているシャッター通り状態である。
あまり来なくなった商店街でなぜお店を閉めないのか?冒頭ではその理由としてナレーターがここの人たちは変わり者が多いと述べている。確かにいずれも個性がある人ばかりだった。だがこの個性は人をひきつけるような、また自然と笑顔があふれるそんな空間も作り出してた。

この空間をいかに生かしながら商店街をかえていくか、あらためて商店街の設計の難しさを痛感したDVDであった。

第7回 自主研究会(報告 担当:牧瀬)

ファンズワース邸

建築家ミース・ファン・デル・ローエは完成当時(1951)施主であったファンズワースに『あなたとこの家が新しい時代のモニュメントになる』と言った。
玄関前の広いポーチ、仕切りなしのワンルーム、必要最低限の家具、いち早く取り入れたシステムキッチン、温水式床暖房、エアコン、そして、空間の中央にある箱形スペースには水回り。これらによってライフスタイルに合わせた室内空間ができる。(ユニバーサルスペース)
自由に暮らすための家、自分らしい生き方をするための家。これがミースが伝えたかったこと。
しかし、このファンズワース邸も実験住宅にすぎなかった。
ファンズワース邸完成後、鉄骨とガラスの高層アパートができた。この建物はファンズワース邸を縦に並べたようなもの。

DVD鑑賞後、参加者にはファンズワース邸に自分が2~4人で住むとしたら…と言う事で、各々間取りを考えてもらいました。(サニタリースペースは固定)
決められた空間の中で、それぞれ個性的な間取りになっていたと思います。