2011年4月21日木曜日

第2回 建築学特論

戦時下の哀しき愉しみ~村野藤吾と自邸~
村野藤吾さんの自邸を藤森照信さんが訪れて、村野藤吾の自邸(建築観)について述べている。議論の流れとして、まず簡単に内容の要約を行い村野藤吾の略歴や過去の作品やその時代の事に少し触れ、本題に戻り気になった部分や分からないことについて議論を行いました。
文章の中に村野さんが「多分私は、私とは別な1人の建築家として、これから建てようとする私の家に立ち向かっている」という文があり、それに対して素人としての自分と、(建築家)玄人としての自分とに二分化して理解し、建築家はプロになると共に少年のような図画工作的な喜びを大切にすることが野村の考えであるなどと意見があった。図画工作の喜びとは何なのか?それは出来たモノを評価してくれる喜びと、自分の中で作り上げた時の喜びがあると捉えられた。
次に藤森さんが「和風についてイイナーって気持ちが浮くのにどこがいいのかと問われる言語化出来ない。」ことに対して何故出来ないのか?と持ち上げ、言語化出来ない良さを分かっていたけどそれ以上にその良さが明確さに欠ける事を理解していたので野村さんは、生きている間は自邸の写真も限られたところしか表に出さない。
作品と社会の繋がりとして、利久の精神に一致するものがあり茶室の空間で床の間の段を普通なら上げるところを畳と同じラインにした。その事により身分差をなくしたそれによって正面性の部分を弱めぐるぐると回ってしまうような空間になっている。
他にもいろいろと議論していき最後にまとめとして、生涯、長い時間と労力とが村野の作品となる為に費やした。納得がいくまで追求し、これが自分そのものだという自邸(建築)を素人と玄人を理解し開放することで不思議な空間(建築)になっていき、魅力のある建築となっていったと思う。
村野は、多様な建築を行っており施主の意見を99%、自分の意見を1%という方でその1%対して個性を注ぎ込んでいた。
議論も1番目で進行も分からない所もありましたが、無事に進める事が出来て良かったです。次の特論でも意見を出し合って議論していきたいと思います。
担当 09ta024 小畑俊洋

2 件のコメント:

  1. 議論のテーマとして
    「なぜ村野は自邸の素人的な部分を外に発表しなかったのか」
    「図画工作の喜びとはどのようなものか」
    という質問は、私は予想もしなかった設問でしたが、面白い意見がでてきて、新鮮でした。

    まずは、意見を出し合うこと、そのために、知識をつけること、整理する力をつけることなど、どんどん皆の力が伸びて行きそうな気がしました。
    次回も楽しみです。

    あと、余談ですが、本文を読んでいて気づいたのですが、P. 225「利久」と表記されていますが、正しくは「利休」ですよね。業界では「利久」と書くのかと思い、検索してみましたが、そういうことはなさそうでした。
    (頴原)

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  2. 第一回の特論は、「歴史からは何も生まれない」
    という言葉が印象的で、設計がしたくて歴史研に入った
    立場からすると残酷な内容だったけど。


    第二回の特論で少しすっきりした。
    建築史家である藤森照信さんは、相撲をとるように建築を見る。とあって、

    建築家、村野藤吾もモダニズムとポストモダニズムどちらが勝つかという土俵で歴史と相撲をとっていたのかもっておもった。


    そんな村野藤吾を思うと、藤森照信さんは、「歴史は死んだ世界」といってるけど、建築が物である以上、少なくとも建築史は半分生きた世界なのかもしれないと思う。

    これも藤森照信さんと同じく個人的な見解だけど。


    にしても、見事な進行ありがとう。
    参考にさせてもらおう。

    (江渕)

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