2010年6月18日金曜日

第9回 自主研究会 まとめ (担当:森)

イサムノグチ 紙と石

彫刻を身近に

イサムノグチにとってNYと日本両方が故郷になっていて、どちらにも属しているようで微妙な感覚になっている。
医学を学んだ後に夜間で彫刻を学んだ。芸術に触れるうちに、技術にしばられないで単純化をしていくためには芸術家と素材の両方が大事になっていると感じていた。
パリで抽象的な彫刻を作っていたが、一つも売れなかった。その中で生活費の為に肖像的な彫刻を作っている事に葛藤を感じていた。しかし仕事を続ける中で人脈を広げていきフロンティアの舞台装置の製作を依頼された。ロープだけでシンプルかつエレガントな表現をして、その舞台で豊かな感情を彫刻で表した。
バックミンスターフラーと共に社会から飛び出し、個人・集団ではなく地球に根付く云わばアースアートの走りとなった。
石のパズルという作品で世間から評価されはじめ、独自性・ルーツ・インスピレーションを磨いていった。
庭は室内の彫刻だと考え、京都に来た時に竜安寺の石庭に無垢の宇宙を見出した。
広島の平和公園の橋のデザインを二つ担当したが、慰霊碑にはイサムノグチの案は採用されなかった。彼は原爆に対し罪の意識を持っていて、日本とアメリカのかけ橋になろうとしていた。
提灯を光の彫刻だと考えて、その中にはかなさ、時の流れを見出し壊れた後に残るのは芸術と命といった、日本的な美意識を感じ取った。
彫刻は建築の一部だとして、建築家の設計を変えさせるほど彫刻の事を考えていた。

まさに芸術家らしく彫刻にストイックに向き合い、自分なりの価値観を貫き通していた。生まれが特殊だから、日本人ともアメリカ人ともどこか違う感覚があって独自の世界を作れたんだと思った。

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